FC2ブログ

Latest Entries

「ALS患者を二人の医師が嘱託殺人を行った事件について」

11年前、がんのため35歳で亡くなった友人のことを思い出した。闘病中、彼女は苦痛のあまり「殺してほしい」と懇願した。彼女を看病していた家族だったらどう思っただろう。葛藤しながらも娘の望みを叶えてあげたいと思っても不思議ではない。友人のようなケースを考えるとよっぽどのケースに限っては自ら死を選ぶようなそういう選択肢もあってもいい――彼女のお別れ会に参加し、亡くなるまでの様子を綴ったノートを見て以来、そう思うようになった。

ヨーロッパには合法的な安楽死を行う団体がある。実際に日本から渡航して死に至ったケースもあって、昨年、NHKでドキュメンタリーが放映されて大いに話題を呼んだ。その番組を見て思ったのは、死という事実をこれ以上ないぐらいに、慎重に取り扱っているということ。その一端は、何度も行われる意思確認からも伺えた。

この事件の「医師」たちの行為に関しては、ヨーロッパの団体と違って、ありえない気がした。安楽死が必要だと言うアピールをするどころか生前本人にやりとりを削除させようとしているのだ。これは単にお金儲けのための殺人じゃないか。この事件を持ってやっぱり安楽死は必要だという議論にはならない。

一方、この医師の妻、大久保三代のブログには胸をつらぬかれた。夫が罪を犯したことを、もがき苦しみながらも受け入れ、それでいて、肌を合わせたいと赤裸々に記していたからだ。

時に、恋愛は地獄に落ちるような不条理さを伴う。そうしたことが理性的に分かっていても、好きだという気持ちが勝る場合も少なくない。その人と分かり合いたいし、一緒にいたいし、肌を合わせたいと願い、行動に走ってしまう。

恋愛について、『新明解国語辞典』の第6・7版には次のように記してある。

「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」

彼女の文章を読み、恋愛や性愛の持つ魔力をよくも悪くも思い知らされた。

おかんとの電話

今日の午前中、大阪のおかんから電話がかかってきた。
「あんたが無事なのが分かってお母さん涙が出てきたわ」
先月80歳になった母は気力体力ともに実年齢よりはずっと若い。とはいえちょっとしたことで気持ちが塞いだりするようだ。

「まだコロナが流行ってんのに外国にでも行ったんかと思ってたけど、東京におって良かった。親っていくつになってもこうやって子供のことを思うんやわ。アホみたいやろ…」
その言葉を聞いて、こみ上げるものがあった。私が娘を思う気持ちとそっくりだということに気がついたからだ。どんなに離れていても、親は子を片時も忘れないものなのだ。

父との間に一切の愛着を持てないで育った私は両親とはもう30年以上も一緒に暮らしていない。だけど電話口で涙ぐむおかんの声を聞いて、これからは、なるべく近くにいてあげないとと思った。

私が安倍さんを軽蔑しつつも、評価するというモヤモヤ

加計・森友学園の問題とかアベノマスクとか。答弁で平気で嘘をつくとか。安倍首相のことは心底軽蔑している。なのに私は彼が北方領土問題で2島返還に方針を戻したことを評価している。この矛盾は何なのだろう。自分の中でずっとモヤモヤしていた。

ソ連崩壊直後のエリツィン政権のとき、二島+αでの解決をロシア側が提案してきた。あのときが最大のチャンスだったのだろう。実際、色丹島の世論は日本返還で傾いていた。当時は平均寿命が5歳縮まるほどの過酷な状態。バブル崩壊直後の日本に島民たちは助けてもらいたかったのだ。

2000年代初頭には鈴木宗男と佐藤優、そして東郷和彦という役者が揃ったときもチャンスだったが、三人とも交渉の最前線から姿を消し、またも機会を失った。それ以後、チャンスはもはやなくなったと思えた。

なのに2016年になって、安倍首相がプーチンと会談を運ぶことになった。G7に残っているのもギリギリというほどの体たらくの日本を相手にするはずなのにどういうことだろうと。そして私はこう判断した。実は相当論議が尽くされていて、返還直前なのかもしれないと。でなかったらプーチンを呼んだりはしないだろうと。

しかし結果は周知の通り。交渉のハードルは4島から2島となり、しかも還ってこなかった。90年代なら還ってきたであろう条件なのにだ。

加計学園やアベノマスク問題と、北方領土問題の交渉失敗。その共通点。それは、安倍さんだけでなく、それを支える官僚たちの無能さである。仲良しだけをまわりに置いてしまったこと、どんなひどい失敗をしてもちゃんと罰することが出来ない安倍さんの元に、ろくな情報が集まってこなくなっているのだ。

そのため、数々のずさんな事件が起こったり、実現可能性がないのに官僚たちの適当な言葉を信じてしまった安倍さんは、プーチンを呼び、日露首脳会談に臨んでしまったのだと。官僚たちはロシア側との間でまともな交渉は何も行っていなかったし、安倍さんもそのことに気がつかなかった。

私は安倍首相やそのブレーンが無能だから故に軽蔑し、今度こそ解決するかもと期待してしまったのだ。

大宅賞

春秋社の元担当編集者Sさんが編集した書籍「チョンキンマンションのボスは知っている~アングラ経済の人類学」という本が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。担当編集者がイチから手がけた本が大宅賞を受賞するのは2冊目。 情報センター出版局のTさんが手がけた、「あの戦争から遠く離れて」(城戸久枝・著)に続く。

長い間辛苦を共にした 編集者の本が こうして顕彰されるというのは なんだか嬉しいことだ。

私の本は7年かけて作ったにもかかわらず、全然売れなくて、当時はかなりしんどい思いをした。だけど、今回の受賞ですこし報われたような気がした。気のせい、または勘違いなのかもしれない。だけど、そういうことにしておこう。

以下、自分の事を分析してみた。

以下、自分の事を分析してみた。

私はノンフィクションの話題の新刊をまず読まない。読めば面白いのはわかっていてもまず読まない。

台頭してきた若手のライターがいたりとかするといいようなライバル心とかが芽生えてくる。ふざけんなこらって。

また、自分が何年もかかって書いた本のテーマについては頭ごなしに色々言われたりするとブチ切れたりする。

なぜ、こんな風な思考になってしまうのか。自分が情けなくて仕方ないとずっと思っていた。

その理由が大学時代の恩師とのやり取りでなんとなくわかった。先生は私が献本した本の感想メモに次のように記していたのだ。

「カバーする問題が、多すぎるように思う」「一つのテーマ、あるいは一人の人物に絞る。これに基づき実証的なものを書けば、必ずノンフィクション賞がもらえる」「多くの問題を並列的に抱えているテーマでは、それぞれに限界がある。それをまとめる理論がどうしても必要になる」

このメモを読み、そういう事だったのかとはたと気がついた。

「かつての日本領」「日本の国境」とか「中国の経済成長」など、すごく大きなテーマを足で稼いで書籍化してきた。

そういう大きなテーマをモノにするために、膨大な書籍を読むという勉強を数年がかりで毎回やる。本人としては何年もかけて渾身の力を振り絞って調べて、足で稼いで書いたわけで絶対的な自信がある。ここまでこれ以上もうやれないぐらいにやったと言う自負がある。

とはいえ、その分野の専門家ではないし、興味を持ってしまった自分のテーマがあまりにもでかい。そのため各章のトピックが大して深まっていない、半分素人みたいな文章になってしまう。はっきり言って消化不良。深まっていないので、面白くないし、やはり受けない。受けないので経済的に苦しくなる。なのにまた新しいテーマに取り組む。

私のこの20年ほどの人生というのはまさにそんな繰り返しだった。学んだという実感はすごくあるし、それなりの仕事はしてきたという自負もある。だけど、経済的には全く低空飛行であること、報われない。

報われなさに対しての不甲斐なさや憤りみたいなものをずっと抱えている。それが嫉妬や否定される事への反発という形でときどき爆発するのだ。

ありがとう東長崎、ありがとう冨士見荘

1998-2000年に住んでいた4畳半アパートが遂に解体された。元戦場カメラマンで現在バグパイパーである加藤健二郎さんから「解体されるよ」と教えてもらっていたのだけど、忙しさにかまけてけっきょく行かなかった。

戦場に興味のあるフリーライター/ジャーナリストが集まる梁山泊みたいな場所になっていた東長崎。そのアジトのひとつがこのアパート、冨士見荘だった。マンガ家が集まったトキワ荘があった場所にもほど近く、外見もよく似ていた。山口百恵の生家だということで、藤原新也が「東京漂流」で取材に訪れた物件でもある。

4畳半で一月27000円。電気と水道は現金払いだったはず。風呂なし、トイレ共同、鍵は魔法の鍵みたいな古い鍵。線路沿い。一階には大家が住んでいてけっこう厳しい人だった記憶がある。二階建ての物件で私は二階。真ん中に廊下があって南北にそれぞれ部屋が並んでいた。

毎晩のように同業者たちとファミレスに集合してだべっていたのを思い出す。常岡君が長崎放送を辞めて上京、爆破前のバーミヤン遺跡を訪れ、朝日新聞の一面を飾ったときは、祝福するのではなく、嫉妬のあまり確か机を叩いてブチ切れた気がする。冬にガスストーブを使って暗室作業をしていたところ、ボヤを起こしてしまったこともあった。外は西武新宿線が走っていて、5分おきに揺れた。朝の通勤時間には列車が窓のすぐ下で停止信号で止まることがあってサラリーマンって大変だなと他人事のように思ったり。夜中にゴジラが歩いているような地響きがして、なんだと思ったら線路をメンテしてたこともあった。

この時期は紛争地を目指していたからか、やばい目に遭うことが多かった。アフガンではタリバンに拘束されたり、検問で銃を突きつけられてフィルムを没収されそうになった。ユーゴスラビアに空爆を見に行ったとき、途中で寄ったブルガリアで睡眠薬強盗に遭って30万円盗られたり、何とかユーゴに入国してホテルにチェックインすると刑事がやってきて、国外退去を命じられた。ベトナムでバイクタクシーに乗るとへんなところに連れて行かれて袋だたきに遭った。私自身とは関係ないが、旅好きの女友達が伊勢で事件に巻き込まれてそのまま行方不明となった。

2年後の2000年、原チャリで日本一周+旧日本領すべてを回るという旅に出たので、引き払ったのだった。

つらつらと20年前のことをいろいろ思い出してしまった。気がつけば、人生で遭ったかなりのトラブルがこの時代に集中しているし、かけがえのない友人たちの多くはこの時代に知り合っている。

思い出の地がなくなるのは残念だけど、今までありがとう。

http://www.higashi-nagasaki.com/d2019/dl01_2019_003.html?fbclid=IwAR0U4YJajuX8tBLnKNX2lp6zzfEKuO-jFQAPY35NVXXRkwrYkRcO3EYxAHg

中村哲さんが亡くなった

私が中村哲さんのことを知ったのは遺書を残してアフガニスタンに行こうとしていた1998年春のことだ。
情報を収集していて、たまたま知ったのが彼の著書「ペシャワールにて」とかペシャワール会。ずっと現地に滞在して医師として活躍しているという(そのころはまだ緑化を進める活動はしていなかった)彼の活動ぶりを知って、めちゃめちゃ驚嘆した。何者なんだろうこの人、と思った。

のこのこ出かけたアフガニスタンでは結構危ない橋を渡った。カンダハルでは到着当日に警察に連行されて取り調べを受け「写真を撮ったら死ぬまで鞭打つぞ」と脅された。
カンダハルからカブールまでは通常8時間のはずが時折道路を外れ、地雷でも埋まっていそうな荒野の中をゆっくり走ったりして約40時間もかかった。
またカブールからパキスタンのカイバル峠に抜ける途中に寄ったジャララバード手前の検問では全員降ろされて徹底的に荷物をチェックされた。その時、銃を突きつけられ、撮ったフィルム全部置いていかないと殺すぞみたいなことを言われた。たまたま横にいたパキスタン在住の元アフガン難民の新聞記者が交渉して助けてくれたけど、かなり冷やっとさせられた。(ちなみに今回中村哲さんが亡くなった場所もこの近辺だ)。

あのような場所で30年も40年もの間活動し続けるというのは信じられない。欧米にここまでの活動をやり遂げた人はいないと聞く。
なぜ彼だけができたかと言うと日本に憲法9条があったからだと思う。現地の戦争には関わらないということで中村さんは信用されていたのだ。
改憲をして戦争ができる国に完全になったとしても、まさか彼のボディーガードとして常に中村さんに付き添うわけにもいかないだろう。だから憲法9条があるからこそ襲われたなんていうのは現地の事情を知らない我田引水な考えだと思う。はっきり言うと平和ボケだ。

にしてもだ。中村哲さんが死んだというニュースを聞いてもガッカリはしたが、さほどショックは受けなかった。あり得ることだと思った。肌感覚でそう思った。

憲法9条がさらにもっと換骨奪胎され無力化しつつあることがどのくらい影響しているのかわからないが、昔も今も簡単に命を奪われる過酷な国だという点では変わらない。どれだけ気をつけていても簡単に殺される。むしろ逆に今までよくここまで活動できたと思うほど。

あともう一つショックを受けなかった理由として、彼は最後の最後、亡くなってしまうまでずっと自分の意思を突き通したことにあっぱれだと思うからだ。今までお疲れ様でした。どうぞ安らかに。

北方領土、北方四島を巡る神話について

尊敬する黒井文太郎さんが
[北方領土問題の神話に「ロシアは2島返還で決着したがっているのに、日本側が4島に固執して交渉止まってる」があります]
https://t.co/48KRmyrCef
とツイートしているのを読み、えっ、と思った。
だって、そんな神話、私は知らないもの。
あるのは「北方四島は日本固有の領土」という神話では?
「二島返還ならチャンスはあったかもしれないのに、日本側が四島返還に固執してもったいない」といったことは私自身書いたことはあるかもしれないけど。
「ロシアは2島返還で決着したがっているのに、日本側が4島に固執して交渉止まってる」という神話、どのあたりで広がっている話なんだろうか。少なくとも日本政府はそんなこと言っていないはず。
誰か詳しい人、教えてほしい。

2016年11月と12月の日露首脳会談を前に北方領土問題について考えてみた

プーチンと安倍が11月12月と会談するらしい。しかも12月は、安倍の故郷山口県でだ。ここまで親密に日露のトップが会談するのは98年のエリツィンと橋本龍太郎が伊豆半島の川奈で会談して以来の事だ。あの時もかなりいろんな事が進んだように見え、あともう1歩というところまで話が進んだようにも思えるが、ちょっと引いて見ると日本側は原則論から一歩も足を踏み出していなかった様にも解釈できる。
ただ、この直後からだと思うが、人の住んでいる択捉島、国後島、色丹島にそれぞれ、発電所や学校、はしけに宿泊施設といったものが形成されたり贈られたりして、距離が縮まったことは確か。
2000年代前半にかけての日本側が行った島の開発というのは、島民が日本に対して親近感を強く抱き、なおかつインフラから島の日本化を強く進めたという結果をもたらしたのではないか。折しもその頃ロシアは、ひどい経済危機で、色丹島にいたっては日本領になったほうがいいという住民がかなりの割合に上っていた。あのまま日本化が進んでいれば「北方四島は日本固有の領土」という神話からの脱却はできなくても、実質的には日本領だというそんな感じにまで持っていけたのではないか。
しかし、2002年だっけ?鈴木宗男と佐藤優らが失脚したことでロシアをよく知っている政治家や外務官僚がいなくなり、情報力にしても、交渉力にしても、日本化を進める実行力にしても、冷戦期までとは言わなくても交渉はグッと後退した。
そうした状態が続いていると私は思っているので、いくら安倍さんが頑張ってもそんな簡単に動かないのではないかという気がやはりしてしまう。アメリカの次期大統領がヒラリーではなくて、万が一トランプになることが決まったりしたら少々影響するような気もするが、それでも動きようがないんじゃないかという気がして、あまり期待できない気がするのだ。
そうは言っても日露両国が両方とも安定した長期政権で、これまでならありえないような選択ができる環境にあるのも事実。安倍さんだったら四島ではない、実情に沿った選択をしても、反対する世論を抑えられる。その点は期待ができる。
両国政府が水面下でどんな話をしているのかわからないが、落としどころとしてはどんなものがあるのだろうか。ロシアの求めるものは日本の経済援助、日本は建前上は北方領土全ての返還だろうか。現島民の居住を認めるというカードを出してきたわけだが、ロシアはどのように答えるのだろうか。これまで通りか、2島だけとか。それともまさかそれ以上か。ロシアとしては最大限で2島。しかし、日本側は建前を4島としている以上、それではだめだ。2+2という形で切り離してどうやっても返ってこない国後、択捉についてはお茶を濁して手を打って、平和条約まで持っていくというところだろうか。
そうそう。1956年に日本とソ連が国交を結んだとき平和条約までは至らず日ソ基本条約というものを結んだだけなのだ。その時から60年も経ってしまったのだ。
島がどちらかとということだけではなく、大事なのは漁業権をどうするかとか共同開発していくかとか、双方が使っていけるかということではないかと個人的には思っている。それこそビザなし交流の範囲を広げて、根室と国後島とか根室と色丹とかに定期航路があって簡単に行き来できれば面白いしぜひ乗ってみたいと思うのだが、やはり難しいだろうか。
そういったものが就航すると麻薬とか拳銃とかの流入がさらに加速するだろうしな。共同開発といったって、北海道のインフラを今後ますます維持できなくなっていくような雲行きなのだから、まともに行えるかどうかわからない。漁業にしても高齢化が進んでいるから、従事する人が今後どれぐらいのかっということも気になってくる。
私がこの問題に取り組み始めた10数年前、北方領土が還ってきたらどうなるか、根室がどうなるかということを考えた事があるが、今、再びこのタイミングで考えてみて、感じるのは日本というこの国のすごい勢いの衰退である。
話や最初に戻るが、私がこのたびのプーチンと安倍の会談に大きな期待を抱けないのは、外務省の人材不足以外に、この国の衰退というものを考えざるを得ないからだ。
だらだらとりとめのない文章になってしまったが、北方領土問題の交渉を通していろいろ考えてみた。

37年振りの異邦人

昨日は大井教会というところへ行き、久米小百合さんのピアノコンサートをみてきた。
かつて久保田早紀という名前で活動していた彼女。デビュー曲の「異邦人」のヒットからすでに37年。
「異邦人」という曲は小学生のとき聴いて以来、ずっと好きで居続けた曲。普段はカラオケなどはまったく行かないが、何か歌えと言われると、「じゃ好きな曲歌うで」と言って歌ってたのが決まってこの曲だったし、ノンフィクションライターとして60カ国回るきっかけとなったのも、この曲を聴いて以来の海外への憧れをもったからこそだ。この曲がなかったら自分の人生がかわったんじゃないかと思うほどに大事な曲。それだけに生で聴ける機会を持てるということで期待していた。
小百合さんは、青いロングドレスで現れた。小柄だが、いるだけで周りが華やぐような雰囲気がある。つまりはオーラがあるということだ。
ピアノで賛美歌を歌い始めると、場内の空気ががらっと変わった。くだけたおしゃべり、一緒に歌って下さいと誘導したり目配せしたりしてお客さんを歌わせるように誘導する巧みさ、そしてなにより暖かで伸びやかな声。
声とピアノだけですっかりこれだけ、人の心を揺さぶることができる、小百合さんの表現力に心の底から感動した。デビュー曲からしてそうだが、やはりこの方の歌というのは別格。花があるし、引退後はクールさとは引き替えに暖かみが加わった。才能がある人、持ってる人、というのは彼女のような人のことをいうのだと確信した。
前半は賛美歌、後半は、久米小百合時代の賛美歌ベースのオリジナルという構成で、最後は「異邦人」を歌うも「2番は忘れちゃった」と言って2番は歌わなかった。僕があの曲によって人生を変えられた以上に、作って歌った彼女の人生は良くも悪くもこの曲に人生を変えられた。いや、振り回されたといってもいい。1番だけしか歌わなかったことに、彼女のこの曲に抱く複雑な思いが投影されているような気がして、すごく意味深だった。
彼女自身はお客さんに歌わせようとしていたが、なにより彼女の生歌が良すぎた。聞き入ってしまって一緒に歌おうとか、そんな気にはとてもじゃないがなれなかった。
ずっと憧れていた曲を作り、歌っていた方の歌を、まさか37年も経ってから生で聴くことになろうとは。人生って本当に何があるか分からないと思った次第。

PV「パープル・レイン」に隠されたメッセージ?

ファーストアベニューで演奏する映画のシーンがそのままPVになっている「パープルレイン」。観客の中にジミヘンとスティービーのそっくりさんが写るというシーンがある。スティービーのそっくりさんはご丁寧に首の振り方までまねている(3:18~)。直後にジミヘンのそっくりさん。ブラックミュージックの巨人へのオマージュ、そして今後は俺こそが先輩たちを凌駕していくから見ておいてくれというメッセージではないかと、僕は解釈している。
あと当時流行っていた「フットルース」のケビン・ベーコンのそっくりさんもいる。ほかにもいるかも。マイルスとかJBとかサンタナとか。

Appendix

プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
****************
近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

Twitter

 

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる