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[C1501] 阪神大震災から11年

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[関連したBlog:tagosakuさん「神戸の地震から11年」]
当時、僕は、金融のお客様を担当していたSEで、当時神戸にも拠点があった銀行を担当していた。神戸にも大きなセンターがあり、何度も神戸に出張していた。
地震があったその週も、神戸に行くことになっていたが、行けなくなった。数ヶ月して、神戸に行った時、まだ住吉までしか電車が通っていなくて、そこから...

[C1500]

ひどかったですよ。

  • 2006-01-23 11:19
  • tagosaku
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[C1499]

僕は現在、宝塚在住です。ここも被害がひどかったそうですね。。
  • 2006-01-23 11:04
  • hiroto
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[C1498]

hirotoさま
ご実家は関西なのですか。
栗坊様
>ちょっと離れた地区の被害の大きさに何だかとても同じ街とは、思えませんでした。
街といっても神戸も広いですからね。西神中央の近く、新幹線の高架がこわれましたね。
杉岡幸徳さま
へえーきみもおったんか。
  • 2006-01-19 19:10
  • tagosaku
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[C1497]

実は、僕も当時兵庫県にいて、震災の後、ガードマンの仕事で神戸に派遣されていたんですよ。
当時、ガードマンや土木作業員らが足りなかったらしいです。東京弁をしゃべる作業員にも何人も会いました。

[C1496]

地震から2ヶ月後くらいだったでしょうか、お客様のセンター復旧のために出張しました。その時は、西神中央にあるホテルに泊まったのですが、その辺は、外見上ほとんど無傷に見え、ちょっと離れた地区の被害の大きさに何だかとても同じ街とは、思えませんでした。
あの頃、コンビニやスーパーの店員が、「がんばろう神戸」って書かれたTシャツを着てましたね。
  • 2006-01-17 23:55
  • 栗坊
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[C1495]

この時、僕は東京の自動車工場で働いていました。夜勤明けで職場のテレビを見て知りました。
母から無事だと連絡があり、ホッとしたのですが奇妙なほど現実感が無かったです。

  • 2006-01-17 23:37
  • hiroto
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神戸の地震から11年

当時、フリーターでした。
大学を卒業した後、コンピュータ会社に就職。上京。
1年立たずに辞表を出し、ピースボートで地球したのが94年のことでした。
その後、一周の余韻に浸りながら、ダラダラとモラトリアムなフリーター生活をしていました。そんなさなかに起こったのが神戸の震災(阪神淡路大震災)でした。

当日、警備員の仕事のため、多摩の方の現場に行っていました。
昼休み、伊丹空港の崩れた壁がうつっているのをテレビで見ましたが、
音声が聞こえなかったので何だかよくわからずじまい。
気になっていましたが、休み時間が過ぎ、何が起こったのか、気になりつつも現場にもどりました。

そして夕方、最寄りの駅に向かったとき、駅のスタンドに置いてある新聞が一面同じだったことに驚愕しました。そのときようやく事のでかさを知ったのです。すべての新聞を買い、帰りの電車の中で夢中になって読みました。

小田急新宿駅ののぼりエスカレーターにのっていて、すれ違うくだりエスカレーター側の帰宅途中のサラリーマンたちが差はあるとはいえ、一様に暗かったのを今も覚えています。

翌日がたまたま休みだったということもあり、新宿からバスで関西へ戻ることにしました。大学時代を過ごした思い出の神戸がどうなったのか。この目で見ずにはいられませんでした。神戸行きは当然ありません。大阪行きも運休だったと思います。そこで京都と大阪の間にある京阪の枚方行きのバスに飛び乗りました。

写真は震災翌日の尼崎付近です。

事の大きさに唖然とし、一心不乱に動いて回りました。ボランティアはそのときしませんでした。単なる震災見物です。あのときの場の雰囲気を体の中にとどめることができてよかったとは思いますが、一方でまわりが崩壊している状況の中で何もできないという無力感、自分だけ安全なところにいて助かったという罪悪感は今も尾を引いています。以後、僕は関西弁がうまく話せなくなりました。地震という共有体験をしなかったことで関西人という誇りが失われてしまったのでしょう。


その後、警備会社が東京から神戸にまとめて派遣してくれるというチャンスがあり、迷わず応募しました。空いた時間にはボランティアもしました。そして派遣期間が終わっても神戸に居続けていました。

あの地震で僕の心の中の何かが確実に壊れたし、逆に芽生えたものもあると思う。10年以上経って、それがなにかなんとなくわかってきたような気がします。

写真は神戸のライブハウス、チキンジョージ。大学時代ここで働いていました。当時、改築して2ヶ月目でした。

亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

関連記事:「阪神大震災から11年/栗坊さん」


AUTHOR: 竹村洋介@浮浪思想家 EMAIL: yousuke@kyoto-inet.or.jp DATE: 01/17/2006 19:56:00 11年前の当日は、大阪で地震を経験しました。
原稿執筆中で、徹夜明けになろうとしているところでありました。

 竹村洋介@浮浪思想家
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当時、僕は、金融のお客様を担当していたSEで、当時神戸にも拠点があった銀行を担当していた。神戸にも大きなセンターがあり、何度も神戸に出張していた。
地震があったその週も、神戸に行くことになっていたが、行けなくなった。数ヶ月して、神戸に行った時、まだ住吉までしか電車が通っていなくて、そこから...

[C1500]

ひどかったですよ。

  • 2006-01-23 11:19
  • tagosaku
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[C1499]

僕は現在、宝塚在住です。ここも被害がひどかったそうですね。。
  • 2006-01-23 11:04
  • hiroto
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[C1498]

hirotoさま
ご実家は関西なのですか。
栗坊様
>ちょっと離れた地区の被害の大きさに何だかとても同じ街とは、思えませんでした。
街といっても神戸も広いですからね。西神中央の近く、新幹線の高架がこわれましたね。
杉岡幸徳さま
へえーきみもおったんか。
  • 2006-01-19 19:10
  • tagosaku
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[C1497]

実は、僕も当時兵庫県にいて、震災の後、ガードマンの仕事で神戸に派遣されていたんですよ。
当時、ガードマンや土木作業員らが足りなかったらしいです。東京弁をしゃべる作業員にも何人も会いました。

[C1496]

地震から2ヶ月後くらいだったでしょうか、お客様のセンター復旧のために出張しました。その時は、西神中央にあるホテルに泊まったのですが、その辺は、外見上ほとんど無傷に見え、ちょっと離れた地区の被害の大きさに何だかとても同じ街とは、思えませんでした。
あの頃、コンビニやスーパーの店員が、「がんばろう神戸」って書かれたTシャツを着てましたね。
  • 2006-01-17 23:55
  • 栗坊
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[C1495]

この時、僕は東京の自動車工場で働いていました。夜勤明けで職場のテレビを見て知りました。
母から無事だと連絡があり、ホッとしたのですが奇妙なほど現実感が無かったです。

  • 2006-01-17 23:37
  • hiroto
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プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
****************
近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

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