Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://nishimuta62.blog114.fc2.com/tb.php/1174-db83d1ce

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

松本城を救った男たち

松本城の入城券は松本市立博物館とセットで売られていて、せっかくなので博物館も見てみることにしました。




松本の歴史に関する展示が古代から現代まで綴られていました。しかし民俗的な展示以外はこれといったものはありませんでした。



こういうのや、


こういうものは、ほうと思いましたが。


あと感心したのは、松本城を救うために博覧会を開いた市川量造さんの話です。
以下、ウィキペディアより。

市川 量造(いちかわ りょうぞう 1844年 - 1908年)
(中略)
1872年、松本城が競売にかけられ235両で落札された。落札者は天守閣を取り壊そうとしたが、量造は「城がなくなれば松本は骨抜きになる」と訴え金を工面し始める。城内で博覧会を開催しその入場料などが当てられ、彼は買い戻すことに成功した。その後彼は長野県議会議員を務めるなど松本の産業振興に尽力した。現在、松本城の入り口には彼のレリーフが設置されている。


また天守閣保護のため、小林有也さんらの尽力も大きかったようです。ここより抜粋。

 明治維新後は、政府の政策により各地の城郭が取り壊されるのだが、松本の象徴だった天守閣も明治五年( 1872 )に、金二百三十五両一分と永百五十文で競売にだされる。このままでは、天守閣が失われると感じた市川量造ら地元の有志がこれを買い取り、また、初代松本中学校の校長を務めた小林有也(うなり)は、明治三十五年( 1902 )に天守閣保存会を結成し、崩壊寸前だった天守閣を保護している。昭和十一年に国宝指定。昭和二十五年には、現存する資料を基に修復作業(昭和の大修理)が行われ、築城以来四百年の時を経た今日にその姿を残すこととなったのである。

当時は文化財保存の概念が今ほど盛んではなかったでしょうから、先見の明には驚かされます。また、お城というものの存在が町の人たちにとってどれだけ大きな存在なのか、ということを思い知らされます。

国内で、その町を知るため、お城を見学するのが有効だとは僕自身、なんとなく思っていましたが、やっぱり有効な手段のひとつなんだと思いました。
城は近代的な建物とは景観が異質です。
異質なものが混在しているからこそ、景観にアクセントが生まれます。
混在した景観は個々の町の人たちの心に刷り込まれ、景観がその町の人たちの精神のよりどころになっている、という面があるんだと思います。
明治初期はそんな混在ぶりはなかったのかもしれませんが、そのころ高層建築なんてものはありませんからやはり目立っただろうし、町の人たちに町のシンボルとして心に刻まれていたことでしょう。

町のシンボルであるお城というものを見る、ということはその町、そしてそこに住む人たちを知るのに有効な手段なんだと思います。もちろん概要的なものに限りますが、とっかかりとしては格好の素材です。

写真はお城入り口にある市川量造、小林有也のレリーフです。


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://nishimuta62.blog114.fc2.com/tb.php/1174-db83d1ce

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
****************
近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

Twitter

 

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。