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更埴満蒙開拓団殉難慰霊塔

昨日のブログに温泉名の浮かぶネオンの写真を載せました。
そのネオンのある山腹までタクシーでのぼってみることにしました。

それにしても長野県はタクシーが高い。初乗り710円もします。しかもメーターが上がるのが早い。



10分ほどのぼったところに善光寺別院というお寺がありました。
この寺、トンデモな展示物がたくさんあるようですが、今回は時間がないですし、趣旨から外れるし、なによりタクシーのメーターがあがるのが気になって展示は見ませんでした。なおお寺についてはこちら

長野というと日本一の満蒙開拓団を送り出した県。今回の旅の目的のひとつが、満蒙開拓に関係ある場所を巡ること、というものでした。わざわざ山腹を登ったのはこの碑を見てみたかったからです。満蒙開拓の末路は悲惨です。詳細はここをご覧ください。

更埴満蒙開拓団殉難慰霊塔です。以前は仏塔とともに千曲川を見下ろす山頂にあったようですが、塔が何らかの理由で壊され、碑だけが境内に移築された、とのことです。
満州と長野のつながりについてネット検索していたところ、ヒキノムラビトさんの記事を見つけました。

訪問時、碑文の存在に気づかなかったのですが、さきほど前述の記事を確認すると以下のように書かれていました。
碑文に更埴満蒙開拓団800名、1945年8月27日(敗戦から一週間後)満蒙開拓団佐渡郷において649名が玉砕とあり、
とのことです。

第二次大戦終結まで列強は世界中を植民地化し続けました。日本もその流れに乗っかり、朝鮮や台湾などを植民地化、満州に傀儡国家を作り上げたわけです。

満蒙開拓民の末路は、国家に誘われ、裏切られた結果の悲劇です。彼らの末路は「あの戦争」の中で最も悲惨なものだったわけです。国そして時代のあり方について考えさせられます。

冥福をお祈りいたします。


AUTHOR: ヒキノムラビト URL: http://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu DATE: 09/27/2007 16:20:07 何かジンと来る記事です。ありがとうございます。埴科郷満蒙開拓団については井出孫六「終わりなき旅」ではかなり頁をさいています。今は温泉の町外れ、当時の新山村の家内の叔父(8人兄弟のうちの2人)の名前が刻まれています。
「無言館」の記事、読みました。観覧料のこと私もそう思います。気持ちはわかるのですが表現が難しいですね。こちらの「無言館」にTB ください。
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プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
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近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

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