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栗林中将のお墓

松代大本営を見学する際、入り口にいた管理人に「入り口の大きさは硫黄島の壕よりずっと広いですね」とポロッと漏らしたところ、その初老の管理人は「硫黄島にいらっしゃったのですか」と驚いた様子。そして続けます。
「栗林さんはここ松代出身なんですよ」と。

そのことはもちろん知っていましたし、もとより彼のお墓に参る予定でもありました。しかし、管理人のおじさんにその事実を指摘され、縁(えにし)を再確認したのも事実です。
松代大本営と硫黄島の壕は同時期に作られたものだ、と。

硫黄島の戦いを指揮した栗林忠道は明治24年(1891年)、長野県埴科郡旧西条村(現長野市松代町)に生まれています。武士でありながら父祖伝来の地を固守した郷士の家に生まれます。

栗林の先祖は田畑を耕しながら家を受け継いできたのでしょう。彼自身は生後まもなく養子に出されていましたし、軍人となりアメリカに駐在したり、東京の世田谷に住んだりと先祖のようにこの地に固守することはなかったようです。

彼の生家は松代駅から5キロほど離れたひっそりとした場所にありました。


栗林家のお墓がある明徳寺は生家の目と鼻の先にありました。
時期柄でしょう。
大河ドラマ「風林火山」ののぼりがここにもあり、幻滅です。






彼は一般的に中将と称されることが多いと思うのですが、お墓は大将となっています。
硫黄島で指揮を執っているさなかの3月17日に昇進が決定したからでしょう。

華美なところのないシンプルな、それでいて背の高いお墓です。
亡骸が見つかっていないので、当然ここには遺骨は納められていません。

安らかに。


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プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
****************
近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

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