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お大事になさってください。

関東軍だったんですね。
幹部といえども戦後の人生はそれぞれでしたからね。
終戦直後の状況を考えると引き揚げられただけでもマシな方ですが。
  • 2005-09-25 01:08
  • tagosaku
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満州国と杉田かおるを繋いでいた線

たった7ヶ月で離婚し、負け犬に逆戻りした破天荒女優、杉田かおる。
彼女にはその期間、満州国と繋がれていた。
というのも元夫、鮎川純太の祖父が満州に強い関係を持った人物だったからだ。

そのことに気がついたのは一昨日か一昨昨日(徹夜明けで頭が回りませぬ)のことだった。『満州国~「民族共和」の実像/塚瀬進』(吉川弘文館)を読んでいて、目に留まったのが169ページ冒頭に登場した鮎川義介という名前だった。
 鮎川純太は相当の御曹司だと聞くがもしやと思い、調べてみたらドンピシャ。以下の通りでした。

鮎川義介

実業家、政治家。
1880年、山口県生れ。明治の元老、井上馨の長姉の孫。
東京帝国大学工科大学卒。
経営不振に陥った久原財閥を継承し、日産コンツェルンを作り上げた。同コンツェルンには、日立製作所、日本鉱業、日産自動車などが含まれる。
満州開発を図る陸軍や岸信介(当時、満州国政府産業部次長)らの勧めに応じ、日産コンツェルンの本社日本産業を満州に移して満州重工業開発株式会社に改組、本人は総裁に就任した。
しかし、経営方針をめぐって陸軍と対立し、1942年、同社総裁を辞任した。
敗戦後、中小企業の振興を狙い、1952年、中小企業助成会を組織。さらに、1956年、日本中小企業政事連盟?を組織して、中小企業政策の充実を働きかけた。
1959年、自ら参議院選挙に立候補し、当選。しかし、同時に当選した次男、鮎川金次郎に選挙違反容疑がかけられ、道義上の責任をとって議員を辞職した。
1967年、死去。

2005年1月、鮎川弥一(義介長男)の長男、鮎川純太氏がタレント、杉田かおると結婚し、話題となった。


誰が書いたのか存じ上げませんが、末尾の一文はすばらしい。
これを付け加えることで笑いを誘うし、同時に深みを感じさせます。
親子三代の単なる世代交代だけじゃなく、日本の近代史をも透けて見えます。

杉田かおるさんもこれで日本の歴史にその名を刻めたのかもしれませんね。

AUTHOR: はやち URL: http://tampopo.jugem.cc/ DATE: 09/17/2005 13:02:25 お久しぶりです。お元気ですか?

いやー今回の記事、個人的になんか、ツボでした。
前付き合っていた彼のお母さんが満州で暮らしていて、
ロシア料理がとても上手だったんですよ。和製のボルシチ、旨かったなー
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関東軍だったんですね。
幹部といえども戦後の人生はそれぞれでしたからね。
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  • 2005-09-25 01:08
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プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
****************
近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

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