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[C1805] どうも

過分なお褒めの言葉、ありがとうございます。
茨城は思いの外面白かったので、また出かけたいと思いました。
  • 2009-09-24 16:11
  • PEREZVON
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[C1804] いいねぇ

>納豆のフルコース
大洗⇒大笑い!

>チッと舌打ちしながらも、
と言いつつ出かけてしまう、憎めない西牟田クン。ワシなんかクワ持って種まきよ。

今回の見聞録、視点がまさにブログのタイトル通りだね。面白い!

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満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所の跡地

ヨーロッパのようにばらけて休めばいいのに、盆だ正月だゴールデンウィークだ、休日が続くと国民の大多数が一斉に休む。その結果、行楽地は混雑し、高速道路は長蛇の渋滞となる。
有給のないフリーランスには祝日など関係がない。だけど、社会全体が休みのあいだ浮ついた雰囲気となって気が散るので、仕事どころでなくなる。やらねばならない仕事が山積みなのだけど、仕事に手が着かない。

シルバーウィークが新設されたようだ。チッと舌打ちしながらも、仕事に手が着かないので、なかばしょうがないといった心境で、僕も社会に足並みをそろえてどこかへ行くことにする。

妻と二人で茨城へ行った。鹿島神宮でお参りした後、臨海とついているのにまったく海の見えない鹿島臨海鉄道に乗って水戸へ。水戸ではしらみつぶしに宿にあたったがどこも空いていない。諦めかけたころ、ガイドブックに紹介されていない昔は栄えたであろう古びた旅館(トイレはくみ取りだった)に空きを見つけ、投宿することができた。夕食は納豆のフルコース。

翌朝、大洗へ行き9年前に利用したフェリーターミナルを見学し、潮のにおいをかいだりした後、水戸に戻る。水戸黄門関係の展示物の置いてある神社や偕楽園、小学校跡などを見学した後、水戸から東京方面へ2つ目戻ったところにある内原という駅へ。その後、土浦で霞ヶ浦の湖畔へ行き、魚が腐ったようなにおいをかいでから帰った。

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タイトルにある訓練所は水戸の後に行った内原にある。訓練所の正門があった場所には碑と復元された宿舎が建っていて、次のような説明書きがあった。全文を引用してみる。

義勇軍は重要国策の一つとして昭和12年11月30日の閣議決定に基づき、昭和13年1月設立され、昭和20年の終戦まで存続した。
設立の狙いは、当時、、建国日浅い満州ー現在の中国東北部一帯に拡がる未墾の沃野に青少年を送出し、将来大規模経営の農業者を育成し豊かな農村を築きあげ、日満一体、民族協和の実をあげることにあった。
義勇軍の訓練期間は三ヵ年、そのほとんどは現地訓練であったが、このうち二~三ヶ月間基礎的訓練を行うためこの地に全国唯一ヶ所の内原訓練所が開設されたのである。
敷地は40ヘクタール、三百余棟の日輪兵舎が林立し、常時数千人の若人が眉を挙げ胸を張り、とおく大興安嶺の彼方に夢を馳せながら此多に学んだ。
その数8万6530名すべてが15才から19才迄の全国道府県で選抜された人達であった。
訓練の傍ら義勇軍は、当時要請された食糧増産の為に各地の援農や奉仕作業に数多く参加した。
内原町武具池の改修工事もそのひとつで延10万人の隊員の勤労奉仕により成ったものである。
「内原」の地名は、この訓練所によって全国にその名を知られるようになった。



その場所から百メートルほど離れたところには渡満道路と書かれた柱があった。
s-P1040479.jpgs-P1040480.jpgs-P1040481.jpg


さらに数百メートル離れたところには資料館と復元された実物大の宿舎(木輪宿舎)があった。円形の宿舎に60人ほどが寝食を共にした。
s-P1040446.jpgs-P1040422.jpg
宿舎に入ると、元訓練生が寄贈したらしき衣服や靴、写真などが展示されていた。
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左上の人が満蒙開拓のキーパーソンである加藤完治。
s-s-P1040437.jpg

かつて若者たちはこの駅から満州へ、原則、一時帰郷することなく、旅立っていった。終戦とともに満州国は崩壊、義勇兵の少年たちの中には、ソ連軍との戦いに倒れたり、シベリアに抑留されたまま帰って来れなかった者など悲惨な最期を辿った者が多い。生き残って日本に引き揚げてきた者ももちろんいる。しかし、すでに80代。当時を知る人は残り少ない。

駅の一部は近くの駅に移築されているが、その他、駅の土台部分は当時のまま。この駅そのものが生き証人みたいなものである。
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資料館で買ってきた書籍「満州開拓と青少年義勇軍」のなかに日本体操(やまとばたらき)という体操が紹介されていた。家に帰ってから、図のとおり体操し、満蒙に派遣された訓練生たちの気持ちを推し量ってみた。
s-P1040545.jpg


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プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
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近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

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