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「楢山節考」を見る2 神と殺人

この物語は日本各地に残る姥捨山伝説を元にしている。

舞台となる村は標高1000メートルの貧しい寒村。
生き抜いて、子から孫へと命をつないでいくために村人たちは妥協しない。
一人増えれば一人がコミュニティから退場させられる。
親族が老人を山の中に連れて行くという方法が取られるのだ。
また、この村では禁忌を犯せば、リンチを受けたり、生き埋めにされたりもする。

今の法律に照らせば、どちらも犯罪行為ということになる。
しかし近代的法律はこの村にはない。
そのかわり厳しい掟かある。
限られた資源を有効に使い、命をつないでいくための。

命が間引かれるとき、免罪のためなのか村人はある単語を口にする。
何かにつけ「山神さま」というのだ。
自然という人の手に負えない、人知を越えた存在を信じることで、
不自然な殺人を正当化するのだろう。

この映画の中に出てくる殺人・自死のシーンを見ていて思い出した話がある。

一昨年の年末に行ったエチオピア南部でのことだ。
口に皿をはめ半裸で暮らしているムルシ族という人々がいる。
話というのは彼らにまつわるものである。

牛を追って生きているムルシ族。彼らは牛の存在をとても大事にしている。
牛が死んだとき、ムルシの人々は隣の村人が牛に呪いをかけて殺したと思い込む。
ムルシの男は隣村へと復讐に出かけ、カラシニコフ銃などを使って、
隣村の住人を殺してしまう。

牛が死んだことを理由に殺される隣村の人々はやりきれないはずだ。
そんな理不尽な殺人があっていいものか。
話を聞いたとき、そのように嘆いたりしたものだ。

しかしこの映画を見てちょっと考えが変わった。
ムルシの村人も楢山節考の村人も人知を越えるものに対して、畏れを持っている。
彼らは自然を自分たちの思うように改造したりはしない。
他方、自然に対しての畏れを忘れた現代人は自然の改造に躊躇がない。

自然に対してのダメージというものを重視する視点に立つと、
前者を野蛮だと決めつけられなくなる。
結局、どちらがよくてどちらが悪いとは言い切れないのではないか。
そのように思うようになった。

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プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
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近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

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