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プリンスとの出会い、そして五木ひろし

眠れず、一旦、起き上がったところに飛び込んできた訃報。事態を受け止めることができない。パープルバナナが満載のトラックに乗り、殿下はあの世へ旅立っていったんだろうか。洋楽のミュージシャンで一番最初に、そして一番好きなのが彼でした。安らかに、安らかに。

実家にあったプリンスのLP、一揃え、おかんに捨てられてた筈。買い直すとするか?

以下、僕とプリンスとの出会った頃のことを書いてみる。

パープルレインが流行っていた1984年。そのころ僕は家族と一緒に大阪は門真市の木造モルタル2階建ての貸家に住んでいた。道の入り組んだ文化住宅ばかりが建ち並ぶ、良く言えば庶民的な住宅街。その家、左右に引き戸の入り口があり、向かって左がうち、右側は在日韓国人の一家が住んでいた。一つの建物を無理矢理、左右に分けて、貸しているのだ。壁はうすく、隣の家の声や生活音が日常的に聞こえてきた。その数年前までは同じ区画の文化住宅に住んでいて、もっとせまく、隣の家の声なんて当たり前に聞こえたので、そうした生活音に不満を抱くことはなかった。それどころか、以前より、家がグレードアップしたためか、ささやかながら贅沢になった住環境を喜んでいた。
隣の家にご主人はおらず、当時40代のおばさん、そして高校生ぐらいの子どもが二人ぐらいいたと思う。五木ひろしの歌をこよなく愛する普通のおばさんだった。女手ひとつで、しかも在日というハンデがありながらも、おばさんは頑張っていたし、真面目な性格に敬意の念を抱いていた。
ところがそのおばさん、どうしたのか。ある日、突然、壊れてしまった。当時は今のような少子化社会ではないのでそこら中に子どもがいた。道ばたで三角ベースをやったり、かくれんぼをしたり。女の子はゴム跳びをしたりして、家の前の路地で遊ぶのが普通だった。それで、そのおばさん、壊れるやいなや、バケツに汲んだ水を子どもらに向かってざばーっとかけていじめたり、あることないことうちの悪口を言ったりし出した。家に出なくても、おばさんの狂気は伝わってきた。おばさんがこよなく愛する、五木ひろし。ベスト盤だろうか。それを壁がビリビリ震えるぐらいまでのボリュームで、朝早くから、そして僕が学校から帰ってきた後の夕方、そして夜とエンドレスでかけていたのだ。
以前なら聞こえても音は控えめだったのに、まさに欲望の赴くまま、他人への迷惑を感じるセンサーがぶっ壊れてしまったようだったのだ。

当時、ミュージックビデオと連携した形で洋楽がヒットしていた。マイケル・ジャクソン、ビリー・ジョエル、ホール&オーツ、デュランデュランにカルチャークラブとかいった面々が次から次へとヒットを飛ばしていた。1984年。僕は夜更かししてテレビにかじりつき、ベストヒットUSAやソニーミュージックTV、MTV(マイケル富岡!)とかで洋楽のヒット曲を沢山聴き、歌謡曲とは違う世界観を持った完成度の高い音楽の虜になっていた。
その年プリンスがパープルレインを発表する。最初に見たのはベストヒットUSA。マイケル・ジャクソンのライバル、正義のマイケルに悪のプリンスという紹介のされ方をしていたような気がする。マイケルのスリラーには確かに魅了されていた。だからこそ、「悪ってなんや」ってことで、プリンスに興味をそそられた。
6月だったか、プリンスの「ビートに抱かれて」という嫌悪したくなるような気持ちの悪い映像の曲が突然、売れはじめた。黒人かインド人かよく分からない小男が、なまめかしいマスカラと無精ひげという性別不詳のミスマッチな顔立ちで、素っ裸でハイハイしたり、紫色のハーレー?に乗ったり、左右対称の鏡写しの空間でバンド演奏したり。曲にしても、極端にシンプルで、楽器という楽器が省かれている。そんな気持ち悪いだけの謎の曲がまたたくまに一位となり、アルバムも一位となった。
当時、洋楽にはまっていて、聴く曲聴く曲すべてが新鮮。売れている曲はすべて聴いてみたかった。プリンスは理解の範疇を超えていたが、わからないだけに聞き込んでみたい気にさせられた。とはいえ中学生にLPは高い。そこで僕は、隣駅iに隣接するビルで営業していた貸しレコード屋に初めて出向くことにしたのだった。

貸しレコード屋の会員となり、レコードの棚から「パープルレイン」を探し出した。そのときはカルチャークラブやデュランデュランも借りたのかも知れないがよくは覚えていない。借りたパーフルレインを家に帰ってから取り出すと、盤面はなんと紫色だった。ターンテーブルにレコード盤を載せ、針を落とそうと、アームをつまむ。戻っては来られない怪しい世界に誘われるような気がしてドキドキしたのだと思う。しかし、なんだか初めて聞いたときのことはよく覚えていないのだ。
と言うのも隣の在日おばさんの五木ひろしがやかましくて、その音を早くかき消したい衝動に駆られていたからだ。
針を落とすと、妖しげで背徳的で下品で躍動的なエネルギッシュな、いろんなタイプの曲があった。いいとか魅了されたとかいうよりも、何故彼がこんなに気持ち悪くて、なのに格好良いのか、とか、これはロックなのか黒人音楽なのかとか、彼のハイテンションはどこからくるのかとか、それとは裏腹にふっと感じさせる彼の劣等感のようなものとか。あと何よりも気になったのが、隠し味のように入れられた「ンッタララッタ」「ンタンタ」とかいう太鼓やベルとかの音。とにかく何度聞いても謎だらけ。どれだけ光を当てても闇がある。良いからという理由からではなく、わからなさが気になってしかたなくて、繰り返し繰り返し聞いてしまった。
いつのまにか引き込まれ、繰り返し針をLPに落として聞いているうちに、手元をあやまり、レコード盤に渦巻き状の傷をつけてしまった。それはまるで惑星探査船パイオニア号が、木星の軌道に乗るときのような見事な傷。レコードは返しにいったが、結局、買い取りとなった。

以降、僕はその年の冬まで、つまりパープレインがアルバムの一位の座から陥落するまで毎日毎日聴いた。それこそ「ダーリンニッキー」の歌詞にあるようなことを親や兄弟から隠れながらしたりしたこともあった。
その間、隣のおばさんの心の調子はずっと悪く、五木ひろしのベストが壁伝いに聞こえてきた。僕にとってパープルレインを聞くという行為は、プリンスの音楽にこめられた闇という謎を解き明かすことや、単純に聞いて楽しむ(聞き込んでいるうちにどんどんと楽しく聞こえるようになった)こと、そしてオ〇ニーのお供、そして何より、狂ったおばさんの騒音に対抗し、心にはりを持つという意味合いが何より大きかったような気がする。
そんなわけでパープルレインのアルバムを聴くたびに、思春期のころの、おばさんとの戦いの日々を思い出すし、五木ひろしのこぶし回しが、聞こえるような気がしてならないのだ。(了)
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プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
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近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

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