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ジャングルに消えていく日本海軍の島3

ずんずん歩いていくと入江を結ぶ橋に出てきました。ちょんちょん橋です。

ちょんちょんというのは行為から名付けられたのでしょう。日本でもちょんの間というのがあるでしょう。橋の先には遊郭街があったのです。

日本の軍人はホント精力絶倫ですね。奥の山は海軍第四艦隊の司令部があったのですが、そのすぐ下には遊郭が並んでいました。「職遊接近」ぶりはすごいですね。遊郭から指揮したこともあったんじゃないでしょうか。とも思えるほどです。

当時、島には千人!もの娼婦がいたといいます。

兵隊さんは島に来ると突撃一番(スキン)を一枚支給されたそうです。

この島はトラックの中心地である一方、軍事拠点でもあり、淫売の島でもあったのです。

なおこのお姉さんたちは娼婦ではありません。あしからず。



これが遊郭の跡です。
階級別に行く店が決まっていました。ここは将校専用です。将校が入店したときは入り口に番兵がついたそうです。

アメリカの大空襲は昭和19年2月17日とその翌日に行われましたが、その前日までの警戒態勢をといた直後狙われたのでした。司令官がこんなところばかり通って、まともに作戦を練ってなかったんじゃないかと思ってしまいます。


ここかどうかは知りませんが、ノモンハン事変の指揮官で、のちに南方へ参謀として派遣された辻政信が
「日本の真珠湾」であるトラックに寄った際、この島の遊郭で女遊びをやったようです。

彼はその後ガダルカナル、ニューギニアと転戦しますが、そこでもあいかわらずの強気一辺倒で、ことごとく兵隊を死の淵へ追いやり、シンガポールでは華人大虐殺を指令したりとある意味大活躍します。


大空襲のあと、満州などから陸軍の精鋭がやってきました。アメリカから日本の領土であったトラックを死守せよ、ということなのでしょう。ですが島の軍事的な機能はほぼ失われ、すでに死に体でした。

この都洛公園に駐留し、玉砕覚悟で米軍を待っていましたが、米軍は無駄な戦いはしませんでした。精鋭たちは畑を耕しながら終戦を迎えました。

とはいってもどこからも補給ができない状態でしたから餓死者が続出したようです。




島には日本人が数々の文化を持ち込みました。
ジャンケンやビー玉もそのひとつです。

小学生が学校でビー玉遊びをやっていたので玉を見せてもらいました。



防空壕は子供たちの格好の遊び場になってしまいました。

おなじようなタイプの構築物が南洋一帯で見られます。
サイパンには空港の管制塔のそばにこれがあります。


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プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
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近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

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