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神社の戦後~新京神社編

満州国の首都であった新京(現在の長春)には新京神社がありました。
大正四年頃創建され、そのときは長春神社と呼ばれていましたが、昭和7年に満州国建国と共にその名を改めました。
祭神は天照大神、大国主命、明治天皇の三神でした。
新京在住の日本人市民にとって結婚式や宮参りなど生活に欠かせない存在で、雨後のタケノコのようにあちこちに創建されていた開拓地神社の神主をこの神社で講習を受けさせたり、敗戦後、満州国が崩壊した際、ご本尊をこの神社に集めたりと約300までに増えていた全満州の神社の中心的な存在で、国都の守護神として極めて重要な存在でした。


ところが終戦間近の昭和20年8月9日、ソ連軍が国境を越えて攻めてきました。さらにはそれまで抑圧されていた中国人が暴徒となり、日本人をいたぶり始めました。
そして新京にも混乱が生じました。
 神社というものは日本人により日本人のための宗教でしたから、満州国がなくなった以上存在価値がありません。存亡の危機を迎えてしまいました。
 新京神社の境内には白装束姿の小中学生、薄化粧をし刀を磨く巫女たちがいました。彼らはソ連兵が来る前に一同が自決し、火を放とうと覚悟を決めていたそうです。幸い、状況がかわり、これは取りやめましたが、8月15日には社殿が暴民により破壊され、略奪を受けるようになりました。
 18日頃には北満各地から避難民や各地の神職とその家族が集まり始め、その数は60人に達しました。彼らは自活のために露天や行商をしながら帰国を待ちました。
 10月には松波正市により長春孤児保育連盟が結成され524人の孤児たちが長春市内7箇所に分散収容され、そのうち一番多かったのが新京神社の中央保育園で117名でした。
そうです。神社の社務所戦災孤児を救済する保育園となったのです。
 昭和21年(1946年)8月10日には松波が孤児を引率し、無事に帰国を果たしました。そのとき神社の御神体も無事でした。

そして、時は流れて21世紀。
吉林省人民政府机第一幼儿园と名を変え、鳥居などもなくなっていましたが、
なんと現在も旧社務所は幼稚園として使われていました。写真がそうです。
幼稚園のHPによれば、翌年1947年に創立したといいますから、
もしかするとこういうことかも知れません。以下は裏の取れていない僕の想像です。
「日本人にまじって戦災孤児たちを世話していた中国人がいて、その人が幼稚園を創立した」と。
もしかするとまったく違った経緯なのかも知れませんが、それでもなんだか心温まる話ではないですか。なお、僕は一昨年門越しに遠くから社務所らしきものをみたのですが、まさか幼稚園になっているとは思わず、きっちりとした写真も撮らずに帰国してしまいました。写真と資料は「満洲の神社興亡史/嵯峨井建」からです。


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プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
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近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

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