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[C131]

多いと仰有っていたのは覚えていますが、そんなにいたんですか!
純粋培養ですか。たしかかなりの進学校だったと記憶してますが。
やまもとさんがセーフだったのは人一倍強い危険予知のセンサーをお持ちだったからじゃないんですか?
宮嶋氏が先輩というのも覚えてます。彼が「尊師」を撮るのに宮嶋氏があれだけ執念を燃やした理由はお金のためだけではなかったような気がします。出身校から信者をたくさん出したということに対する負い目みたいなものが彼の中にあり、彼なりの始末の仕方を考えていたのではないでしょうか?
  • 2004-08-07 23:09
  • tagosaku
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  • 編集

[C130]

驚いたことは、当時、オウムには、高校の、後輩たちが30人以上も入っており、
幹部(大臣)に3人、僕の、間一髪電車での実行犯もそのうちの一人だったことです。

その高校が、当時、そういうカルトというか、コミューン的なものになじむ、
純粋培養的な人間を多く育てる環境だったのかと思います。
僕は、かなり落ちこぼれていたんで、セーフだったのかも。

おまけですが、
そして、小菅の松本智津夫の写真を撮ったのはその高校の写真部の、
不肖の先輩です。
  • 2004-08-07 08:43
  • やまもと
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  • 編集

[C129]

梅香さん
そうですか。どちらも当時の雰囲気をご存じなのですか。ニューヨークの人がテロに過敏になっているように僕には見えるのですが、もしかしてニューヨークの人の気持ちがよくわかったりするのですか?その場の臨場感ですか。僕はライターですし、臨場感至上主義なんですよね。ただサリン事件についてはずいぶん訪れるのが遅かったなと思います。

やまもとさん
実家、須磨だったんですね。加古川とか三木とかだと思ってました。鷹取と須磨の間ですか。当時はあのあたり壊滅的でしたね。本当にお疲れさまでした。ボランティアといってもこんな僕ですから、ヤジ馬的な気持ちがあったことは否定できません。大学が神戸でしたから、助けたいという気持ちももちろん持っていましたが。

長田のあたりに僕はいました。やっぱりボランティアで来ていた横浜の娘と知り合い、その後付き合うようになりました。自然解消しましたけどね。
  • 2004-08-06 02:49
  • tagosaku
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[C128]

興味深く読みました。
私は、直接サリンの被害にあったわけではないけれど、
当時東京にいたので、東京の混乱ぷりを鮮明に覚えています。
電車はしょっちゅう止まるわ、紙袋に過剰反応するわ・・・

サリン事件の3日後に大阪に引っ越したので神戸の混乱も知ってますが、
たぶんその場の者しかわからない感情ってあるんですよね。
ちなみに、私はいまだに不審な紙袋が置かれていると逃げるようにしています。
怖いんです。

海軍の防空壕・・・海軍省が真上にあったんでしょうか?

  • 2004-08-05 21:34
  • 梅香
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隠された霞ヶ関(かすみがせき)後編

さて昨日の続きを書く。

写真は階段をのぼりきり霞ヶ関駅千代田線ホームにでたところ。
ホームの広さは標準サイズだ。


ホームを綾瀬方向に歩いて行くと、ちょっとした変化に気がついた。


ホームがどんどん狭くなっていくのだ。
柱も一本になってしまった。


駅の一生を見届けたような気分といったらいいのだろうか。
しかしなんでこんなに狭くなっているのだろう。
改札が下にあることも含めて、謎が謎を呼ぶ。


千代田線の霞ヶ関駅は海軍の防空壕を改築したものなのだそうだ。
「現在、綾瀬行きの線路が敷かれているところは、かつて防空壕の地下一階にあたり、改札や駅事務所などは地下二階になるそうである。この防空壕にはさらに地下三階もあったが、いまは砂が詰められて駅の下で眠っているのだという」(「写真と地図で読む!帝都東京地下の謎」より)

海軍司令部の防空壕は昭和17年3月に完成、戦争末期にはこの防空壕の中で海軍の指揮がとられていたという。

なおホームが狭くなっている部分は防空壕のヘリに乗っかるような形で作られているそうだ。先端付近は日比谷公園の手前にあたるらしい。

上りの階段がなく、ホームが狭くなっていくと特殊構造に、サリン事件発生直後、この駅で下ろされた多数の乗客はずいぶん戸惑ったことだろう。ホームを端から端まで歩いていると当時の混乱ぶりが想像できて、心が寒くなってしまった。

被害に遭われた方々は本当にご愁傷さまでした。


AUTHOR: やまもと DATE: 08/04/2004 16:23:17 サリン事件の当時、僕は日比谷線で六本木から八丁堀経由で、新浦安に通勤してました。
当日は、なんと、いつも乗っていた電車でサリンがまかれたのですが、その日は家をでるのが遅れて運良く、次の電車に乗っていました。
六本木から乗ると神谷町で電車は止まってしまい、「前の電車で爆発事故」のアナウンスがありました。
神谷町でずいぶん人が降りましたが、その人たちの中にも、被害者がいると思います。
しばらくすると「霞ヶ関まで行って終わり、ただし先頭付近には近寄らないように」とのアナウンスがあり、僕は最後尾に乗っていたので、そのまま降りて有楽町線に乗り換え、急いで会社に行きました。
遅刻しそうという状況が、好奇心に勝って被害にあわずにすんだのですが、あとで、ニュースを見て驚きました。
そのもっとあと、もっと驚くことを知りましたが、それはまた今度。(たいしたことではないですけど)
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多いと仰有っていたのは覚えていますが、そんなにいたんですか!
純粋培養ですか。たしかかなりの進学校だったと記憶してますが。
やまもとさんがセーフだったのは人一倍強い危険予知のセンサーをお持ちだったからじゃないんですか?
宮嶋氏が先輩というのも覚えてます。彼が「尊師」を撮るのに宮嶋氏があれだけ執念を燃やした理由はお金のためだけではなかったような気がします。出身校から信者をたくさん出したということに対する負い目みたいなものが彼の中にあり、彼なりの始末の仕方を考えていたのではないでしょうか?
  • 2004-08-07 23:09
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驚いたことは、当時、オウムには、高校の、後輩たちが30人以上も入っており、
幹部(大臣)に3人、僕の、間一髪電車での実行犯もそのうちの一人だったことです。

その高校が、当時、そういうカルトというか、コミューン的なものになじむ、
純粋培養的な人間を多く育てる環境だったのかと思います。
僕は、かなり落ちこぼれていたんで、セーフだったのかも。

おまけですが、
そして、小菅の松本智津夫の写真を撮ったのはその高校の写真部の、
不肖の先輩です。
  • 2004-08-07 08:43
  • やまもと
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梅香さん
そうですか。どちらも当時の雰囲気をご存じなのですか。ニューヨークの人がテロに過敏になっているように僕には見えるのですが、もしかしてニューヨークの人の気持ちがよくわかったりするのですか?その場の臨場感ですか。僕はライターですし、臨場感至上主義なんですよね。ただサリン事件についてはずいぶん訪れるのが遅かったなと思います。

やまもとさん
実家、須磨だったんですね。加古川とか三木とかだと思ってました。鷹取と須磨の間ですか。当時はあのあたり壊滅的でしたね。本当にお疲れさまでした。ボランティアといってもこんな僕ですから、ヤジ馬的な気持ちがあったことは否定できません。大学が神戸でしたから、助けたいという気持ちももちろん持っていましたが。

長田のあたりに僕はいました。やっぱりボランティアで来ていた横浜の娘と知り合い、その後付き合うようになりました。自然解消しましたけどね。
  • 2004-08-06 02:49
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[C128]

興味深く読みました。
私は、直接サリンの被害にあったわけではないけれど、
当時東京にいたので、東京の混乱ぷりを鮮明に覚えています。
電車はしょっちゅう止まるわ、紙袋に過剰反応するわ・・・

サリン事件の3日後に大阪に引っ越したので神戸の混乱も知ってますが、
たぶんその場の者しかわからない感情ってあるんですよね。
ちなみに、私はいまだに不審な紙袋が置かれていると逃げるようにしています。
怖いんです。

海軍の防空壕・・・海軍省が真上にあったんでしょうか?

  • 2004-08-05 21:34
  • 梅香
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プロフィール

PEREZVON(ペレズヴォン)

Author:PEREZVON(ペレズヴォン)
西牟田靖(ニシムタ・ヤスシ)
1970年大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒業後、フリーライターになる。近年は旅・現場・実感にこだわるノンフィクション作品を発表し続けている。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(2005)、『誰も国境を知らない』(2008)など。NPS(Nikon Professional Services)会員。
****************
近年、ノンフィクションライターと見なされることの多い西牟田靖のブログ。手間をいとわず、自分の好奇心に忠実な仕事をしていきます。

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